■河津七滝旧道



◆2010/02/14(日)


いくつもの旧道が存在する伊豆半島の国道414号線のツーリング。
やってきたのは本路線の中で・・・いや日本に存在する構造物の中でも特に有名な場所。





そう、河津七滝ループ橋だ!



ああ・・・素敵過ぎる。
この威風堂々とした圧倒的な存在感!



と、とてもテンションが上がる構造物なんです。



そんな素敵過ぎるこの場所ですが、橋が出来たのは1981年。
そして以前からそこには道路があった・・・



逝きましょう。旧道へ・・・





ループ橋のスタート地点。
左の草むらに隠れていますが、この左側への道が旧道となります。





ちょっと徒歩で進入してみる。



大丈夫・・・行ける気がする。





というわけでBAJAを連れてきました。
一見道路とは思えない場所ですが、このガードレールや法面を見る限りここは道路だったはず。
この先の状況がとても楽しみです。





ん・・・思ったよりも落ち着いている。

旧道進入直後は盛り土のようなものが行く手を遮ってましたが、
入ってみると緩やかな雰囲気に若干拍子抜けの感も。





しばらく進むとちょっとした遺構を発見。

ちなみに写真は撮り忘れてしまいましたが、写真左にあるポールは「高さ制限3.8m」の標識です。





この建物・・・東海バスの発券場として機能していたようです。
実はこの写真に向かって左側の外壁には、看板もしっかり残っているのですがこちらも見事に撮り忘れました。。

やれやれだ。私は一体何をしにここに来たのだって感じです・・・





・・・さて、更に進むとようやくいい感じになってきました。
この季節なのに妙に緑々とした下草が元気に生えてます。





本当にここを大型バスが走っていたのか!?



この付近、倒木に加えてイバラがたくさん。
最初はジャケットが破れるんじゃないかと気を遣ってましたが、
だんだん面倒になってきたのでオラオラ突撃します。





ええい・・・なかなかやってくれる。



この手前の木を回避した後は右側の倒木越え、左側のイバラ地獄の2択。
右側の倒木はちょっと技術が必要ですが、BAJAを乗りこなせていない自分には対象外ルート。

そうなってくると、根性と思い切りで左のイバラ地獄を抜けるしかあるまい。



逝きます!!









・・・抜けた。



BAJAに乗りながら、体にまとわりつくイバラを退けるのは一苦労でした。
上半身はしっかり上着を着ているので体への直接のダメージは少ないですが、
冬でもメッシュグローブで走っている自分には、イバラを除去するときに結構な痛みが走ります。
また、下半身はジーンズを履いているだけなので、こちらも結構イバラが刺さってきました。



しかし、どうにか根性で抜けることが出来ました。
この先もこんなエリアが続かないことを祈るのみです。





ふう・・・だいぶ落ち着いてきましたね。
このように少し開けた区間もあり、体力も心なしか回復してきました。





法面には鉄骨も使われています。
この付近は特に危険な場所だったのでしょうか。
こう幅員が狭い場所で土砂崩れでもあった時には復旧作業も難航しそうですね。





かなり落ち着いてきた雰囲気になりました。
そろそろこの廃道区間の終わりも近そうです。





この付近は人の手が入ってるのでしょうか?
木々が刈り取られているような感じが見受けられます。





そしてついに廃道区間の終わり。
かつての公道であったはずですが、今は民家の私有地のような扱いになっている感じです。





ちょっと気まずい雰囲気になってきましたのでさっと抜けます。



それにしても何でこんな道路の真横に地蔵が・・・と思っていたのですが、
後から情報を得たので記しておきます。



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1978年1月14日のこと・・・

伊豆大島西岸沖約15kmを震源とした、
マグニチュード7.0の地震があったようです。

その名は「伊豆半島近海地震」
当時まだ県道だったこの道路では土砂崩れが発生。なんとそれが走行中のバスに直撃
乗客3名がお亡くなりになったようです。

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1978年・・・まだ私が生まれる前にそんな事故があったとは・・・





さて、進むとこんな場所に出てきました。
写真中央には観光バスの頭が見えますね。あちらへ進むと河津七滝方面です。
そして、私が撮影している背後には国道414号線。





せっかくなので、河津桜が咲く河津七滝方面へ。
観光バスが来る理由も頷けます。2月は河津桜が満開ですからね。





まだ周囲は寒いですが、一足も二足も早い春気分を満喫です。





最初の写真に戻りました。

先ほど記述した地震による事故も一つのきっかけとなり、
3年後の1981年に河津七滝ループ橋が建造。
土砂崩れが頻発する旧道は放棄されたというわけです。



このループ橋の影には、過去の頻発する土砂崩れや、大地震やそれに伴う事故の歴史があったのですね。



■参考サイト 「そうだ、遠くにイコウ」(あづさ2号さん)







大鍋林道へ続く



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